上つ文や古事記、日本書紀は、日本神話の物語を記したものですが、違いが多く、その信憑性を計る手段が必要です。その手段として最も有効なのが延喜式の祝詞であると考えます。
そもそも、延喜式についてはWikiの解説を見ていただくとして、今で言えば平安時代の法律です。宮中の祭祀の時に奏上される祝詞は、その第八巻に27編と、第十六巻にある「儺祭詞」、『台記』の別記に「中臣の寿詞」が規定されています。もちろん、今の法律の感覚とは違いますが、国の決め事です。そして、祝詞は神や天皇に奏上するものです。そこに嘘を書き入れることが出来たでしょうか。そんな「勇気」があったでしょうか。政府の文書は時の権力者の言いなりとする向きもありますが、この祝詞についてはそのようなことは出来なかったと考えます。日本人の質としてこういう事については、信じられないほど真面目で正直で、頑なな所があります。今で言うなら、政府内にありながら、与党の意を汲まない頑固な法政局のようなものです。
ともかく、現在確認できるあらゆる古文献の中で最も信頼できるのは延喜式の祝詞と考えます。そういう観点から、延喜式の祝詞と上つ文、古事記、日本書紀を比べました。
朝廷が正式に定めた「祝詞」つまり「延喜式」の中の祝詞は、次の29になり
ます。
祈年祭 | 春日祭 | 広瀬大忌祭 | |
龍田風神祭 | 平野祭 | 久度古開 | |
六月月次 | 大殿祭 | 御門祭 | |
六月晦大祓 | 東文忌寸部献横刀時の呪 | 鎮火祭 | |
道饗祭 | 大嘗祭 | 鎮御魂斎戸祭 | |
伊勢大神宮 | |||
二月祈年・六月十二月月次祭 | 豊受宮 | 四月神衣祭 | |
六月月次祭 | 九月神嘗祭 | 豊受宮同祭 | |
同神嘗祭 | 斎内親王奉入時 | 遷奉大神宮祝詞 | |
遷却祟神祭 | 遣唐使時奉幣 | 出雲国造神賀詞 | |
儺祭詞 | 中臣寿詞 |
先ず、内容の前に、祝詞の中に出てくる神名、それから固有名詞をチェック
しましょう。次の表に古事記、日本書紀、上つ文で比較して見ました。
神名チェック表
祝詞だからといって、必ずしも神様の名前が出てくるわけではありません。29の祝詞のうち神名があるのは12だけです。重複した神名もありますが、ペアの神様は一柱として、延べで69柱、正味57柱(伊波比主命≠経津主命とした場合)の神様が祝詞に登場します。
表の見方ですが、祝詞名の下に「物語の有無」とあります。実際に物語を記した祝詞は多くありません。この表の最初の目的は祝詞の内容と古事記などとの比較なので、そのためです。後でまた詳しく触れます。その下は神様と一部の固有名詞(赤字)の「カウント数」です。前の祝詞に名前が出た場合は数えていません。ペアの神様は一柱とカウントし、カッコ内の数字はほかの祝詞に重複した神様を加えた数字です。その下が祝詞に書かれた「神名、または固有名詞」です。重複した神名は橙色で塗りつぶしています。それから古事記、日本書紀、上つ文にその神名が登場するかをチェックしています。ところが神
名は漢字の違いや、神名その物が幾つもある事があり、一筋縄ではいきません。
そこで読み自体が同じである事はもちろん、読みが包含関係にあれば〇とし、△は他の文献、祝詞、神社の由緒などで間接的に特定できるものとしました。ただし、例えば、どこか神社の由緒など間接的にある神名が、ある神と同一と言う「説」があっても、他の文献でその神の位置が特定されてしまっている場合はXとしました。例えば、表の*印の注にありますが、大宮売命は天鈿女命と言う説があります。しかし、上つ文ではどちらの神も存在し同一の神ではないため、大宮売命の古事記、日本書紀の欄には天鈿女命の別名として△を付けず、Xとしました。
このようにまとめると、神名では重複を除いた実質のカウントで〇の数は古事記が20、日本書紀が19、上つ文が36。△を含めると古事記で31、日本書紀で29、上つ文が47でした。さらに、固有名詞を含めると、古事記32、日本書紀30、上つ文49です。驚いたのは朝廷で使われる祝詞の神様の半分の30近くが、古事記や日本書紀では不明なのです。特に日本書紀は異伝をたくさん寄せ集めているのでかなりカバーしているはずと考えたのですが、意外でした。それに対して、上つ文では不明の神様は10にも満たない数で大きくカバーしています。
さて、祝詞の中で物語(らしきものも含め)があるのは六月晦大祓、鎮火祭、遷却祟神祭、出雲国造神賀詞、中臣寿詞の5つしかありません。祝詞の内容と古文献の比較内容を次のの表に示します。
祝詞名 | 古事記 | 日本書紀 | 上つ文 | ||
---|---|---|---|---|---|
六月晦大払 | X | X | X | ||
鎮火祭 | X | X | 〇 | ||
遷却祟神祭 | △ | 〇 | ▲ | ||
出雲国造神賀詞 | 前 | ▲ | ▲ | △ | |
後 | X | △ | △ | ||
中臣寿詞 | X | X | 〇 |
8割がた内容が合っていれば〇 、大枠が合っていれば△ 、結論が逆なら▲ としました。
まず六月晦大祓の話は祓戸四神が人の罪穢れをあちらこちらに持ち歩いて祓い去ると言うことを述べていますが、この記述はどの文献にもありません。かなり重要な祝詞と考えられるので、驚きです。ただし、神名については上つ文には、ほぼ全部の祓戸四神(瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売)の名があります。「ほぼ」と言うのは、「せおりつひめ」と言う名がありません(これは、古事記、日本書紀も同様)。ただし、「せおりつひめ」は「天照大御神」の別名説があるため、「ほぼ」としました。古事記、日本書紀は、この「せおりつひめ」と「はやさすらひめ」のみです。
ここで、神名では在りませんが、この大祓詞には天津罪というのが列挙されています。これは、スサノヲが高天原で行った様々な狼藉です。さて、ここに大祓詞で記されている天津罪が古事記、日本書紀、上つ文で実際に述べられているか確認します。
天津罪 | 古事記 | 日本書紀 | 上つ文 |
---|---|---|---|
畔放 | 〇 | 〇 | 〇 |
溝埋 | 〇 | 〇 | 〇 |
樋放 | X | 〇 | 〇 |
頻播 | X | 〇 | 〇 |
串刺 | X | 〇 | 〇 |
生剥 | X | 〇 | 〇 |
逆剥 | 〇 | 〇 | 〇 |
糞戸 | 〇 | 〇 | 〇 |
このように、古事記では大祓詞の重要な天津罪の半分しか網羅されていません。
次に鎮火祭です。これはイザナミが火の神を生んだときに火傷で亡くなってしまうのですが、上つ文では2つの場面に分けられます。前半は病み臥す場面での神生み、後半はイザナギに「七日七夜私を見ないでほしい」と頼むが、イザナギが約束を破ったためイザナミは「あなたは顕し世を治め、私は隠り世に籠もります。」と、黄泉津平坂まで行った所で、「悪しき子を残してきてしまった。」といったん戻ってさらに四柱(ペアも)の御子を産みます。古事記、日本書紀(の一書)では前半のみで、イザナミはそのまま神去ってしまいます。鎮火祭の祝詞では、この上つ文の後半のストーリーは、ほぼそのままです。
なお、日本書紀の本書では、この話はないので、イザナギの禊もありません。これは、神道でもっとも奏上される祝詞、あらゆる祭祀の始めに奏上される祝詞、『祓詞』の根拠がないということになります。
遷却祟神祭の祝詞は、「高天原は地上平定に天穂日之命、健三熊之命、天若彦をそれぞれ送ったが失敗し、最後に経津主命・健雷命を送って成功した。」と言う内容です。これは古事記の内容に近いものですが、健三熊之命、経津主命は出てきません。
上つ文ではほぼ同じ神様が登場していますが、天穂日之命、健三熊之命については、大国主と協力し地上の平定に大きな役割をなして高天原に帰還しています。そのため、▲にしました。
出雲国造神賀詞については前半と、後半に分けました。前半は「地上平定に天穂日命を遣わし、天穂日命は御子、天夷鳥命に布都怒志命を副えて天降し、地上を平定させ、大穴持(大国主)を説得し国を譲らせた。」と言う内容。後半は「大穴持の要求として、自分の和魂と、御子神たちの御魂を大和に鎮座させ、皇孫の守護神となし、自身は杵築宮に隠れる。そして、皇祖神は天穂日命に対し、天皇命の手長の大御世を、堅磐に常磐に斎ひまつり、茂しの御世に幸はへまつれと仰せになった。」と言うものです。
前半は登場する神に多少の違いはありますが、天穂日命に対する評価で判定し古事記、日本書紀は▲、上つ文は△としました。面白いのは、この前半は遷却祟神祭の祝詞とまったく逆の評価をしていることです。天穂日とその御子(神名が異なっているので注意)が役をしなかったと言うのが、遷却祟神祭。ちゃんと立派に働いて役に立ったと言うのが出雲国造神賀詞です。確かに出雲国造神賀詞は新任の出雲国造が天皇に対して奏上する寿詞で、他の祝詞とは性格が違います。ですが、そんなに相対する内容の祝詞を正式な物として受け入れて「法律」である延喜式にそのまま取り入れてしまうというのは驚きです。
大らかなのか、何も考えていないのか、・・・。
後半は三書ともそれにあたる記述はありません。しかし日本書紀と上つ文においては、皇祖神より天穂日命に対し大国主の祭祀を司るように指示されています。出雲国造の祖が天穂日命であることから、△を付けました。ただ、日本書紀は天穂日命は使い物にならないと評価した訳で、一貫性がないではないかと疑問のあるところです。
最後に中臣寿詞です。話は『中臣の祖天児屋根命の御子、天忍雲根神に対し、(高天原の)天の二上に上ぼり神漏岐神漏美命に「皇御孫尊の御膳の水は、顕しの水に、天の水を加へて奉りたい。」と申しあげるように指示すると、天忍雲根神は天の浮雲に乗り、天の二上に上り神漏岐神漏美命にそれを述べる。神漏岐神漏美命は天の玉櫛を授け「天の水はその天の玉櫛をを刺立て、夕日より朝日照るに至るまで天津祝詞の太祝詞言を宣れ。そうすれば若い野蒜や竹薮が生ひ出でむ。その下より天の八井出でむ。此を持ちて、天の水とせよ。」と告げた。云々』と言うものです。古事記、日本書紀にはこの記事はありません。上つ文には、祝詞よりさらに詳しく記述されています。祝詞だけでは話のきっかけ(原因)がまったく分からないのですが、上つ文ではそれが分かります。ニニギの命が天下った後、ニニギに侍う三柱の神、思金の命、天之児屋の命、天之太玉の命が天忍雲根の命に「天つ御子に奉る御食の水は顕し国の水は荒まくりて不さわず。天つ水の寿ぎ水を請いて来ね。」と指示するのです。そして、祝詞につながるわけです。
さらに、物語ではありませんが、祈年祭の祝詞には「御年皇神の前に、白馬・白猪・白鶏、種種の色物を備へ奉りて、皇御孫命の宇豆の幣帛を、称辞竟へ奉らくと宣る。」と有り、その白馬・白猪・白鶏の根拠が、上つ文では明確に述べられています。
以上、『「延喜式」における「上つ文」と「古事記」、そして「日本書紀」比較』として調べた訳ですが、古事記も、さらに日本書紀も神名数、内容、供に驚くほど祝詞に反映がありません。それに対し、上つ文は断トツです。編纂時期を比べれば、延喜式の祝詞は古事記、日本書紀より後であり、祝詞の中に古事記、日本書紀の内容が十分反映されてしかるべきと考えます。しかし古事記はともかく正史である日本書紀ですら、この程度しか反映していないのは大変不可解です。それも先に述べたように日本書紀は多くの異伝を記載しているのにもかかわらずです。
逆に上つ文は祝詞よりずっと後、鎌倉時代の編纂なので、祝詞の内容を取り込むことが出来たのでは? と言う考えもあるかもしれません。でも、圧倒的に祝詞より詳しく、豊かな内容なのです。従って逆はありえても、上つ文が祝詞の内容を取り込んだと言うのは考えられません。もともと、上つ文は12の書を集めて編纂したものですから、上つ文にいろいろな神話の中身が反映しているのは不思議ではないと考えます。もし、祝詞の内容を積極的に取り込んだのなら、祝詞との間に100%近い共通点があってよいと考えますが、微妙に神名が違っていたり、話の評価が真逆だったりするものもあります。延喜式の祝詞は成立が957年ですので祝詞の内容はそれまでの朝廷内での権力闘争などが反映された結果かもしれません。
一方、地方の古い記録は権力闘争などの影響を受けず良く保存されていたのではないかと思います。神代文字で書かれていたこともその理由かもしれません。そして上つ文はその「地方」に伝わる12の文献を集めて編纂したために、古い記述を保存できたのでしょう。例えば、京都の古い言葉が京都からかなり遠い地方で方言として残っていると言うような話と同等と考えます。一度、都(中央)から地方に伝わった物が、保存されていると言うことです。
以上から、神名、物語の延喜式の祝詞との比較から、3つの古文献の中で、上つ文が最も信憑性が高い文献であると結論付けます。
テーマ1 終り
修祓は神道のあらゆる祭祀の一番最初に必ず行われる儀式です。これは、行事として大祓などの祭祀ばかりでなく、一般の人の結婚式、また、交通安全や厄払い等、神社でご祈祷を受ける際も同じです。この修祓は、祭やご祈祷の最初に、御奉仕する神職・巫女、御供えする神饌物、玉串、参列者等々、すべてを清める儀式です。この儀式に於いて祓詞(ハラエコトバ)が奏上されます。従って、日本で最も奏上されている祝詞が「祓詞」になり、ある意味最も重要な祝詞です。この祓詞はイザナギ神が黄泉から帰った時に禊を行った神話に基づいた内容になっています。神社にも依りますが、通常は神社本庁の作文によるものが一般的です。
さて、この祓詞は「古事記」にあるイザナギの禊の話を拠り所にしているのは明らかです。日本書紀では、イザナギ・イザナミの話は本書と11本の一書にありますが、古事記と似た話は、11本の一書の中の2本しかありません。本書では、イザナミが死ぬことはなく、従って、禊の話はありません。(三貴神は禊なしで、ご両親神から生まれます。)日本神道の最も重要な要素の一つである「禊」が日本書紀の本書からは出てこないのです。
では、古事記では問題ないのかと言うと、イザナギが禊を行った話自体はそのままですが、一つ古事記の中で矛盾を持っています。それは、スサノヲの言動です。
古事記ではイザナギの禊でスサノヲは生まれ、イザナミとは親子になっていないのは明らかです。にもかかわらず、スサノヲは2度、「母」に言及しています。一つは、『母』の国へ行きたいとイザナギを困らせる。2つ目は、ヤマタノオロチ退治のとき、老夫婦に名を尋ねられて「吾は天照大御神の伊呂勢なり。」と答えます。伊呂勢は同母弟を指します。明確に『母』を意識した答えです。
上つ文では、イザナギがイザナミを蘇生させ、共に黄泉から帰り、一緒に禊を行います。三貴神はイザナギ・イザナミの両神の禊から生まれます。従って、日本書紀や古事記のような問題は起きません。問題は今現在の祓詞がイザナギのみで語られていることです。イザナギ・イザナミの両神名で奏上されるべきものであると考えます。
もう一点、祓詞の中に次のように語られています。「禊ぎ祓え給いし時に 生りませる 祓戸大神たち」とあります。この「祓戸大神たち」と言うのは、通常、穢れから生まれた禍神は含めず、また、三貴神らも含めないそれ以外の神々を指します。その中でも、年の祭祀でも最も重要な祭り、大祓で奏上される「大祓詞」に名前のある四神、すなわち瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神と言い、特にこれらを指して祓戸大神と言うこともあります。
さて、これらの四神は当然古事記に登場していると思いきや、テーマ1の考察検証で述べている通り、一神、速開都比売のみしか出てきません。それに対して上つ文では、明確に三神の名前は出てきます。唯一名前のない瀬織津比売は天照大御神と同一と言う説もあり、それを考慮すれば、四神すべてが登場していることになります。
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「イヨブセ」と言うのは上つ文に書かれている蘇生法です。死んだものを生き返らせる方法です。もちろん、死んだものを生き返らせる事など、本当に死んでからは今の科学をもってしても不可能です。当然、神の世界の話だから可能であるわけです。
さて、このイヨブセが最初に出てくるのは、イザナミに対するイヨブセです。このイザナミへのイヨブセは大変重要で、これが古事記との決定的な違いになります。このイヨブセの有無が、古事記に矛盾をもたらしています。
上つ文ではイザナミが神去った後、イザナギは高天原に戻って祖神に相談し、蘇生法であるイヨブセの方法を教えてもらいます。この結果、イザナミは蘇生し大きく話の展開が古事記と異なってきます。イザナギ・イザナミは、共に黄泉から帰り、筑紫日向の橘の小戸の阿波岐原で禊をして、イザナギ・イザナミからアマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三貴神が誕生する訳です。
古事記ではイザナギのみ黄泉から帰り、禊をして三貴神が生まれます。この結果、特にスサノヲの言動に辻褄の合わない部分が生じます。古事記のスサノヲはイザナギのみから生まれた訳ですが、まず、自分は母の国に行きたいと泣き明かしイザナギを困らせる。また、ヤマタノオロチ退治のエピソードにおいて、自身を「天照大御神の伊呂勢」と紹介しています。「伊呂勢(いろせ)」とは、同母弟であり、自分の母の存在を主張しています。また同時に同母弟と言うことは、アマテラスにも母がいると言う事を言っている訳で、いずれも、イザナギのみの禊から生まれた古事記の話と矛盾しています。
イヨブセは上つ文において、その後も何度か登場します。
一の綴り、黄泉の国から帰還後、カクツチをイヨブセ
二の綴り、オオケツヒメの命をイヨブセ
六の綴り、大穴牟遅の命をイヨブセ(2回)
八の綴り、亊代主の命をイヨブセ。
このイヨブセを「都合のいい」呪術とは見られません。なぜなら、古事記でも「イヨブセ」と言う言葉は使っていませんが、大穴牟遅(大国主)が兄神の八十神に2度殺されたのを、2度とも蘇生法により生き返らせています。大穴牟遅を2度も生き返らせることができたなら、それより神力のあるイザナギがイザナミを生き返らせることができないことのほうが不自然です。古事記に於いて、大穴牟遅だけを蘇生させた事に古事記編者の意図的な御都合を指摘できます。あるいは、意図的なのではなく、編集の失敗なのか。
さらに、大宜都比売の命はスサノヲに殺されますが、古事記では殺されたままであるのに、ずっと下って、大国主の話の終りのところで、スサノヲの御子、大年神の子孫の羽山戸神が死んだはずの大宜都比売の命を娶って八柱の御子をもうけます。大きな矛盾です。
神話だから何でも有と言うのは、エピソードとしてはもちろん許されると思います。しかし、物語自体に矛盾や、不整合があることとは別です。なんでも有なら、その「なんでも」についてとんでもない事であっても、説明がなされるべきです。それがない場合は、後から、何らかの意図を持って改竄し、その改竄の綻びを取り繕うことが出来ないということでしょう。
多くの外国では、アブラハムの宗教の影響などで左は悪、邪であり、右が正であるとされる。 キリスト教では、神の右にキリストが座し、左にサタンが座るとか、イスラム教では左手は不浄であるなど。 しかし、よく考えれば、これらはまったくおかしな話で、神の左に席を持つということは、サタンは神の下僕であり、対立する者ではない事を示すし、同じ人の中の左手が不浄と言うのは、まったく、何時までも救いようが無い訳で、まさか左手を切り離すわけには行かないだろうにと思う。
日本では左右に対し、正邪と言うのは聞いた事がない。 もし、あるとすれば、古事記で伊邪那美は黄泉津大神とされてしまった事だろう。 その場合、伊邪那美は後で述べるように「右」を表すのだが。 上つ文ではそれはない。
ただ、例えば左右大臣で左大臣が上位であるとかはある。 これは太政官制が導入された当時、中国の唐が左が上位だったからと言う説がある。 中国は王朝により左右が入れ替わったという。 従って、この説は違うと思う。
イザナギ・イザナミの国生みの始めに天の御柱を周る時、イザナギは左から、イザナミは右から回る。 つまりイザナギは左に位置し、イザナミは右に位置していたことになる。 イザナギは左を表し、イザナミは右を表している。 巡り合った時、イザナミが先に言上げして失敗したが、これは暗に、左が先が良いと言っている。 つまり、左優位はこう言う事から来ている訳で、決して中国の影響ではない。
基本的に、ものがあれば必ず左と右は存在し、それは分かちがたい物であり、それに正邪や尊卑を付ける事は無謀なことで、本来は平等であるはずだ。 しかし、何か動き始める時、例えば、歩き始める時、必ずどちらかの足を先に出さなくてはならない。 本来、どちらでもいいのだが、やっぱり決めて置きたいと言うこだわりがあると、順番、順位をつけたがるのが人と言うもの。 これは決して主従ではないはずだが、後々主従や上下に通じてくる。 しかし、決して外国で言う所の正邪ではない。
さて、語呂合わせの類かもしれないが、左(ひだり)は「ひ」=霊に通じ、右(みぎ)は「み」=身、実に通じる。 これからして、左が上位とか言われそうだが、コンピュータのソフトとハードのような物でどちらもなくては成り立たない、分かちがたい物。 もっと複雑なのは人の左半身は右脳がコントロールし、右半身は左脳がコントロールしているのはご存知の通り。 上下や、尊卑をつけるのはおかしな話で、ましてや正邪などもってのほか。
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