古事記 天地開闢

  


古事記 (真福寺本)上巻 序 終/天地開闢

 
中卷大雀以下小治田大宮以下爲下卷并録三卷謹以獻上臣安萬
侶誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勲五等太朝
臣安萬侶天地初發之時於高天原成神名天之御中主神高訓
下下效天此云 阿 麻次高御座巣日神次神産巣日神此三柱神者並獨
神成坐而隱身也次國稚如浮脂而久羅下那洲多陀用幣流
之時十流字字以以音上如葦牙因萌騰之物而成神名宇摩志阿斯訶
備比古遲神以此音神 名次天之常立神訓訓立常云云多登知許此二柱神亦獨
神成坐而隱身也
 
   上件五柱神者別天神
次成神名國之常立神亦訓如常上立次豊雲上野神 此二柱神亦獨神成
坐而隱身也次成神名宇比地迩 上神次妹須比智迩 去名此以二旁神
角杙神次妹活杙神 二柱次意富斗能地神次妹大斗乃辨神神此名二
音忽 以次淤母陀流神次妹阿夜 上訶志古泥神皆此以二音神 名次伊那岐神次
妹伊耶那美神以此音二如神上名 亦上件自國之常立神以下伊耶那美神
以前并稱神世七代神上十二神柱各獨合神二名神云云一一代代次也雙 十於是天神諸命以詔伊
耶那岐命伊耶那美命二柱神修理因成是多陀用幣流之國
中巻と為し、大雀皇帝以下、小治田大宮以前を下巻と為し、并せて三巻を録して、謹みて献上る。臣安萬
侶、誠惶誠恐、頓首頓首。和銅五年正月廿八日 正五位上勲五等太朝
臣安萬侶天地初めて発りし時、高天原に成れる神の名は、天之御中主神。
次に高御産巣日神。次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独
神と成り坐して隠身なりき。次に国稚く浮きし脂の如くして、九羅下那洲多陀用弊流
時、葦牙の如く萌え騰る物に因りて成れる神の名は、宇摩忘阿斯訶
備比古遅神。次に天之常立神。此の二柱の神も亦、独
神と成り坐して、隠身なりき。
 
   上の件の五柱の神は別天神。
次に成れる神の名は、国之常立神。次に豊雲野神。此の二柱の神も亦、独神と成り
坐して隠身なりき。次に成れる神の名は、宇比地邇神、次に妹須比智邇神。次に
角杙神、次に妹活杙神。次に意富斗能地神、次に妹大斗乃弁神。
次に於母陀流神、次に妹阿夜訶志古泥神。次に伊邪那岐神、次に
妹伊邪那美神。上の件の国之常立神以下、伊邪那美神
以前を、并せて神世七代と称ふ。是に天つ神諸の命以ちて、伊
邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、「是の多陀用弊流国を修め理り固め成せ。」
コメント欄
 普通に、今書店などで売られている古事記の本の原文とか言うのを見ただけでは、分からないことがあります。今回、真福寺本をできるだけレイアウトを保持して、写してみようと思ったわけですが、改めて、こういう作業を行うことで、驚くべき事が分かります。この頁は太安万侶の序の終りから、古事記本文の頭になります。それがどこか、分かるでしょうか。
 それは3行目、上から5字目です。臣安萬侶地初發之時・・・
 信じられますか?
 私はこれを見たときに目を疑いました。太安万侶の名前に続いて、直に本文の「天地」と続いているのです。これは、他の写本には見られません。元々、この真福寺本は国宝と言いながら、誤字、脱字などが多く、古いだけで国宝になったと言われてもいます。どのようにして出来たかと言うと、尾張の真福寺の2代住職・信瑜の命により、僧・ 賢瑜が書写したと言われます。2代住職・信瑜は東大寺で修行し、その東大寺にあった古事記写本を借り受け、真福寺に持ち込み、賢瑜に写させたようです。その東大寺の写本は、見つかっていません。
 さて、冒頭に指摘した「序」と「本文」を分けずに繋げて写すような非常識なことや、多くの誤字、脱字、衍字など非道い写本と言われます。例えば、「伊那岐神」とあります。もちろん、これは「伊耶那岐神」の間違いですが、諸々いたる所にあるようです。(ここで「耶」の字も「邪」の字の誤記です。)では、この賢瑜さん、手習いの小坊主かといえば、そんなことは無く二十七、八の立派な青年僧とのこと。よほど古事記に興味が無かったのか、あるいは、何か考えがあってやったことなのか。一字、一字、写して行くだけなのだから、これほど間違えるのはおかしな話。何が書いてあるのかよく分からないお経(基本的に外国語)を写経するよりは、ましだとは思うのですが。それにしても、住職の信瑜は東大寺で修行したほどだから「それなりの立派な」僧だったに違いありません。なおかつ、わざわざ古事記を借りてまで、尾張に持ち込み写本までさせたのだから、それなりの思い入れも古事記に対して持っていたに違いないと思います。なのに、何のチェックもしなかったのでしょうか。大いに疑問です。
 古事記には、大きく2系統の写本があります。「伊勢本系統」と「卜部本系統」です。真福寺本は「伊勢本系統」に含まれますが、この「伊勢本系統」の写本は全て、仏教が関わってきています。つまりお寺で見つかったり、写本したのが僧侶であったりします。当時は神仏習合がすでにかなり進み、多くの神社に神宮寺が置かれ、神社はその寺の管理下に置かれていました。もう一方の「卜部本系統」は一五二二年に書写された卜部兼永筆本(写本)を基にした系統で、真福寺本から約二百年後の物です。卜部兼永は神道家ではありますが、その吉田神道、卜部神道は正統的神道であるとしながらも反本地垂迹説を唱え仏教から離れられず、加持祈祷も取り入れるなど密教の影響を色濃く受けており、やはり仏教と無縁ではありません。

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国立国会図書館デジタルコレクション
 古事記 国宝真福寺本・上巻 コマ番号 6

古事記 (真福寺本)上巻 序 終/天地開闢

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